アルフレッド・G・フリュー「科学・技術的異議の保護における法律の役割」
Alfred G. Feliu, "The Role of the Law in Protecting Scientific and Technical Dissent",
 in IEEE Technology and Society Magazine, Vol. 4, No. 2, pp. 3-10, June 1985.


キーワード

@ 随意雇用原則とパブリック・ポリシー法理による例外(employment-at-will doctrine and public policy exception)
A 被用者言論の自由(employee free speech)
B 内部告発者保護(whistleblower protection)
C 不適切な道具としての法律(law as an inadequate tool)
D すぐれた経営方針としての言論の自由(free speech as good policy)

はじめに


 この論文においてフリューは、専門技術者が「科学・技術上の異議を唱えること」(scientific and technical dissent)に対して法律はどのような役割を果たすことができるか、という問題を取り上げている。著者は労働および雇用に関する法律を専門とするアメリカの弁護士であり、したがってアメリカ法がもつ特殊事情がこの論文の議論の背景にあることはあらかじめ念頭におくべきである。
 また著者は、被用者でもある専門技術者が雇用者に対して異議を唱えることの是非を問うというよりも、異議を唱えることが必要になる場合があるという前提の下に、異議を唱えることに対する保護において法律はどのような役割を果たすことができるかを、これまでの裁判例などを通して確かめることに主眼をおいている。したがって、異議を唱えることの是非や、どのような場合に異議を唱えるべきか、あるいは、どのような仕方で異議を唱えるべきか、といった倫理的問題に関しては別の角度からの考察が必要であることは言うまでもない。
 議論の大まかな見取り図を描いておくと次のようになる。第一に著者は、雇用に関するアメリカ法の歴史を振り返り、20世紀を通じて雇用者−被用者関係がどのように変化してきたかを概観している。第二に、異議を唱えることや内部告発(whistleblowing)に対する保護を目的とする場合、法律はあまり有効な道具とはなりえないという点を確認している。そして最後に、職場において異議を唱えることを推奨・支援するために、法律はどのような役割を果たすことができるかについての著者の見解が述べられている。
 

1. 被用者権利に関する法律と制度の歴史

 

1) 随意雇用原則に対する制限

 専門技術者は、しばしば自己の専門家としての判断が経営側の意見と対立するといった問題に悩まされる。専門家といえども被用者である以上、雇用者への忠誠の義務を無視するわけにはいかない。だがその一方で、経営側の要求を一方的に呑んで公衆の安全を脅かすような技術を世に出すことは、やはりその技術者の責任でもある。このような状況に置かれたとき、しばしば技術者は雇用者に対して異議を唱える必要がある。しかし、雇用者に対して異議を唱えた場合、技術者は職場における差別的待遇や解雇といった不利益を被ることが多い。それでは、法律はこのような技術者の権利を保護してくれるのだろうか。フリューの答えは悲観的である。なぜならば、アメリカでは19世紀末以来、厳格な「随意雇用原則」(employment-at-will doctrine)が維持されており、今日もなおそれは雇用関係における基本原則として生き続けているからである。
 随意雇用原則とは次のような内容をもつものである。
 
 アメリカのコモン・ローの原則によれば、期間の定めのない雇用契約は、いずれの当事者も、いつでも自由に解約することができる。したがって使用者は、被用者がいつでも自由に辞職しうるのと同様に、いつ何時でも、どのような理由からでも、被用者を解雇できる。このとき、特にその旨の合意がない限り、事前の予告も要求されず、雇用契約は即座に終了する。
 このような「随意雇用原則」は、19世紀末に確立されたものであるが、諸州の判例はこの原則を厳格に適用し、@当事者間で解雇を制限する合意をしても、約因の問題や労働者の退職の自由との相互性を理由に効力を否定する、A解雇が自由である以上、常識的に見ていかにその理由が不当であっても、裁判所としては関知しない、という態度をとってきた[1]


 このような伝統をもつものの20世紀のアメリカ法は、雇用差別に関する法律等[2]を通じて被用者の立場をより重視する方向に変化してきているとフリューは言う。特に1970年代以降は、この原則の従来の徹底した適用に対して、何らかの例外を認める裁判例が現れ始め、それらは1980年代に急増し、随意雇用原則の衰退が議論されるほどになる。そのような例外を認める根拠として最も早く確立されたのが、現行法秩序の下で許しがたい解雇をパブリック・ポリシーの違反と見なすというものである。これは「パブリック・ポリシー法理による例外」(public policy exception)と呼ばれ、内部告発者(whistleblower)保護においても効力をもつものである。
 パブリック・ポリシー違反の内容はさまざまであるが、代表的なものとしては、@被用者が違法行為を拒否したことを理由とする解雇、A被用者が、労災補償の申請など、自らの法律上の権利を行使したことを理由とする解雇、B被用者が、裁判所の陪審員など、重要な公的義務を履行したことを理由とする解雇などがある。だが、ここで重要なことは、「パブリック・ポリシー違反というためには、法制度が体現している一定の明確な規範に違反することが必要」であり、「単に恣意的、不合理な解雇というだけでは足りない」[3]という点である。
 この点が明確に示された裁判としてフリューは1980年のピアス博士対オーソ薬品事件を紹介している。小児および高齢者用の下痢止剤の開発を指揮していたピアス博士は、その薬品の安全性に疑いをもち、引き続きプロジェクトに参加することを拒否した。そのため博士は経営側からの圧力により辞職に追い込まれることになった。そこで、企業を相手取り訴えを起こしたのだが、その際に博士は、自分は「ヒポクラテスの誓い」に基づいて異議を唱えたのだと主張した。その結果、裁判では「ヒポクラテスの誓い」は博士個人の倫理的信条と解釈され、解雇(見なし解雇)は違法とはされなかった。博士は法律や専門職の倫理綱領といったパブリック・ポリシーの明確な表現に基づいて、解雇が不公正なものであることを示す必要があったのである。
 これを含むいくつかの裁判例に基づいてフリューは、パブリック・ポリシー法理による例外が認められるための三つの要件を次のようにまとめている。@異議を唱えた技術者本人が解雇されること、A明確なパブリック・ポリシーの表現に基づいて異議を唱えること、B煩雑な訴訟手続きを厭わぬこと。しかし、これでは、パブリック・ポリシー法理に訴えるのは殉教するようなものであり、普通の異議申し立てには相応しくない、とフリューは言う。
 ただし、以上見てきたような随意雇用原則に対する制限は、州によってもその進展の度合いは異なっているようである。現在では、およそ20の州でパブリック・ポリシー法理が採用されているが、その一方で、ニューヨーク州のように、雇用者の解雇自由に対するこうした制限を拒否する州もある。
 

2) 内部告発者保護法

 ミシガン、コネチカット、メインの三つの州は内部告発者保護法を制定しており、それらは民間企業の従業員に対しても適用される。この種の法律が保護の対象としているのは、行政機関に違法行為を通報したり、行政機関の調査を援助したために仕事中に差別を受けた被用者たちである。この法律は上で述べたパブリック・ポリシー法理による例外に類似するものであるが、ただし、解雇されなければ保護を受けられないというわけではなく、ただ差別を受けたという事実がありさえすればよいという点で両者は違っている。
 

2. 被用者言論の自由


 言論の自由の権利に関する法律としては憲法修正第1条(First Amendment)がある。とはいえ、実際上その権利が保障されるのは、公的機関で働く被用者に限られる。
 しかし最近では、民間企業の従業員に対しても州レベルでは言論の自由に基づく保護が与えられはじめている。そのような動向を示す出来事として、フリューは、1983年のペンシルバニア州におけるノボセル対ネーションワイド保険会社の事件[4]と、民間で働く被用者に対して言論の自由を保障する法律を最初に制定したコネチカット州の例をあげている。
 フリューは、専門職被用者たちの日々の経験はとりわけこのような保護を必要としている、と言う。ある化学物質の有毒性やジャンボジェットの設計の問題などは容易に解決できるものではない。受け入れることのできるただ一つの答えが存在しない限り、専門職スタッフの間でさまざまな意見が出ることは、単に期待されているだけではなく推奨されるべきことなのである。
 

3. 連邦法における内部告発者保護


 この種の法律の発展を概観する最後として、フリューは、内部告発に関する連邦レベルの立法について論じている。
 職業の安全衛生に関する包括的な連邦法には、1970年に制定された職業安全衛生法(Occupational Safety and Health Act)がある。その5条(a)は、雇用者の義務として、被用者に「死亡または重大な身体的危害をもたらす、またはもたらす蓋然性のある、認識された危険」のない雇用および職場を提供するよう命じており、雇用者がもしこれに違反した場合には、被用者はそれを書面により労働長官に申告することができ、しかもこのような被用者の権利行使に対する解雇や懲戒処分は11条(c)の違反として禁止されている。1977年に制定された連邦鉱山安全衛生法修正(Federal Mine Safety and Health Act Amendment)にも同様の保護が唱われている。これら二つの法律を用いて内部告発者保護を訴える労働者には、ブルーカラーや現場で働く者がどちらかといえば多い。
 これに対して、科学者や技術者が保護を求める際に利用できるのはどのような法律だろうか。今のところ、内部告発者保護に関する条項を含むのは次にあげるような法律である。大気清浄法(Clean Air Act)、連邦水質汚染管理法(Federal Water Pollution Control Act)、安全飲料水法(Safe Drinking Water Act)、有毒物質管理法(Toxic Substances Control Act)、エネルギー再生法(Energy Reorganization Act)。つまり、環境および原子力関連の内部告発においてのみ保護が認められているのである。
 それでは、環境および原子力関連の内部告発において、保護が実際に行われるためにはどのような条件を必要とするのだろうか。フリューは過去の裁判例から次のように分析している。まず、内部告発者保護に関する条項が適用されるのは、主に厳しい規制が設けられた職場で働く、安全に対して敏感であることを要求されるポジションにある者たちである。例えば、原子力関連工場の品質管理検査員や溶接工、汚水処理施設で働く化学者などがそれにあたる。そして、実際に保護の対象となるには、被用者は上の法律が目的とする事柄(自然環境の保全、健康の維持・増進、安全対策の充実等)を後押しするような積極的行動を行う必要がある。例えば、原子力関連工場において雇用者の意に添わぬ報告を文書で提出すること、現場の検査員と安全問題について議論することなどである。しかし、法律の適用を受けるためには、雇用者の行動に違法性がなくてはならない。それでは被用者の積極的行動に対する報復として雇用者がどのような行為にでた場合、被用者の権利は保護されるのか。該当する行動にはさまざまなものがあるが、転属、昇進の取り消し、解雇といった人事に関する差別的扱いは法的保護の十分なきっかけを与えるといわれている。
 ただし、次のような場合には、被用者は本来なら認められるはずの保護を受ける資格を失うことがあるという。@被用者が法的な保護の存在や、法的な保護を受けられることを知らない場合、A保護の対象となる行為がそれとは別の不正な行為とともに行われた場合、B政府の定める規制に雇用者が従っているかどうかを監視するために雇われた被用者が、仕事に熱心すぎるあまり企業に対して非協力的と見なされる場合、などである。
 

4. 不適切な道具としての法律


 過去の裁判と立法を振り返り、フリューは、科学・技術上の異議の保護という面で法律ができることには限界がある、法律はそのための適切な道具ではないという。主な理由が三つあげられているが、一般的に言えることとして、第一に「法的手続きの煩わしさ」がある。訴訟にはかなりの費用と時間を要するばかりでなく、いったん訴訟を起こした場合、職場での人間関係や雇用関係にひびが入るため、そのことによって申立人が被る不利益も無視できない。また、制度上の問題として、伝統的に解雇自由の原則が徹底されてきたため、現時点でも不公正な解雇を制限する法律およびそれを扱う法律家の整備は十分とは言い難い。
 第二の理由は、「法的救済の争点特殊的(issue-specific)性格」と呼ばれるものである。これを理解するためには、「科学・技術上の異議を唱えることの保護」には二つのタイプがあることを知る必要がある。異議を唱えたがために雇用者から報復的措置を受けることになった被用者の権利を保護することと、もう一つは、多様な意見を出し合いそれに耳を傾けることを奨励するような職場作りに役立つ仕方で、異議を唱えるという行為自体を保護することとである。二つは相互に関係し合ってはいるものの、異なるものと考えた方がよい。フリューは、基本的に法律が行うのは、前者のタイプの被用者権利の保護であり、後者のような、異議を唱えるという行為を推奨・支援するような形の保護に対しては、それほど役に立つものではないという。つまり、法律は、異議を唱えた被用者に対して雇用者に違法行為があった場合、被用者の救済は行うが、民間の職場において異議を唱えることが推奨され保護されるべきかといった政策上の問題には関わらないのである。
 第三の理由は、「被用者の法的権利の問題と異議内容の科学的真理の問題との乖離」である。第二の理由で見たように、法的救済が被用者の権利を対象とするものであるとしたら、当然裁判で争点となるのも、被用者に対する差別や不当な解雇等の違法行為が雇用者にあったかどうかである。科学的・技術的観点から、被用者の唱えた異議が正当かどうかが裁判で争われることはほとんどない。込み入った科学的・技術的論争に係り合うことはむしろ審理の邪魔になると見なされるのである。したがって、技術者の唱えた異議に正当な根拠があり、他の多くの専門家たちがいくら同情的であっても、雇用者の行動に違法性が認められなければ裁判で勝つことは難しいといわざるをえない。
 

5. 法律の役割


 科学・技術上の異議に対する保護において、法律は有効な手段ではないとフリューは判断するが、それは次のような意味においてである。これまでアメリカ法は、職場における不当な差別を禁止したり、ポリグラフの使用を禁止したり、安全で快適な労働環境を労働者に保障するといった方面で重要な発展を見せてきた。手続き上の煩わしさや被害に対する実質的な救済の実現可能性については、やはり問題が残るものの、これと同じような仕方でなら法律は異議を唱えた被用者の権利を保護することはできるし、法律もその方向へと変化してきた。しかし、異議を唱えるという行為自体の価値を正しく認識させるという方向での大きな前進はなかった。「倫理」を重視するかどうかは「経営」の枠組みのなかで判断されるべき事柄であるという意見がこれまでは一般的で、異議を唱えることを積極的に評価するかどうかも、個々の企業の経営スタイルに任された問題であり、法律がそれに関与することは控えるといった姿勢がとられてきたのである。
 それでは、法律は本来この目的に対して無力かというと、フリューの見解では、必ずしもそうではない。論文の最後で示唆されているのは、個別の法律による保護というよりはむしろ、立法や裁判といった活動を通じて行われるパブリック・ポリシーの確立、および公衆の意識改革という面での法律の役割である。
 例えば、労働環境に関するさまざまな法律、および職業安全衛生法が制定されてから、職場の安全衛生管理はビジネスを行う際のコストの一部と見なされ、企業の計画立案の重要な要素となった。また、平等な雇用機会の提供も1964年に公民権法第7編が制定されてから優良企業の人事管理目的の一部となっている。これらが企業の側でも経営において考慮すべき重要項目となったのは、それが単に法律によって命じられているからではなく、それらの法律の目的とするところがすぐれた経営方針(good policy)として広く認識さるようになったからである。
 フリューは、科学・技術上の異議に関しても同様の変化が期待できるという。つまり、現在いくつかの州で制定されている内部告発者保護や言論の自由に関する法律は、企業の経営方針を変えていくうえでも大きな影響力をもっており、また異議に対する保護が必要とされているという事実を広く公衆に知らしめる手段でもあるのだ。現時点では、個人としての科学者や技術者が異議を唱えることはやはり実際の職場では歓迎されない。そうなると法律による保護のあるなしにかかわらず、異議を唱えるかどうかの決定は結局個人が背負い込むことになる。しかし、フリューによれば、本来科学者・技術者個人に求められるべきものは、責任に対する強い感受性のみであり、自ら進んで殉教者となる勇気ではない。そのためには容易に異議を唱えることができる新たな環境づくりが望まれるのである。
 

おわりに


 この論文の特徴を一言でいうと、科学・技術上の異議を唱えることと雇用関係に関する問題を法律家の観点から論じているということである。科学・技術上の異議を唱えること、あるいは内部告発についてのさまざまな問題は、組織のなかで働く科学者や専門技術者に特有のものである。それは、工学倫理やビジネス・エシックスでよく取り上げられる話題の一つである。しかし、そこでは法律の役割が論じられることは比較的少ない。内部告発に関してはすでに多くの研究が存在するが、法律については単にその限界を指摘するにとどまるものが多いように思われる。その意味では、フリューの論文は、法律の限界とともに、その積極的な面をも教えてくれる貴重な研究である。
 

【注】

[1]中窪裕也(1995),『アメリカ労働法〔アメリカ法ベーシックス2〕』,弘文堂, p. 274
[2]解雇規制に関しては、人種、皮膚の色、宗教、性別、出身国、市民権、年齢、障害に基づく差別的解雇を禁止する公民権法第7編、組合加入や組合活動を理由とする解雇を禁止する全国労働関係法8条(a)、ポリグラフ・テスト拒否を理由とする解雇を禁止する被用者ポリグラフ保護法などが制定されてきた。職場の安全衛生については、鉱山、港湾、土木事業などの個別の分野に関する連邦法が設けられた後、職業安全衛生法が制定された。
[3]中窪(1995), p. 276
[4]この事件の概要についてはハリス,チャールズ・E他(1998),『科学技術者の倫理−その考え方と事例−』(社団法人日本技術士会訳編),丸善株式会社,p. 307でも簡単に説明されている。
(大野 波矢登)